2012年01月

この記事は2012年01月19日に「こまき無答塾」に書かれた記事「新聞とポピュリズム」を Google検索のキャッシュ から復元→アーカイブ化したものです(アーカイブ方針



当ブログでは、次のように、「新聞」について度々記述してまいりました。
〇23年08月06日「メディアのミスリード
〇23年08月09日「議員定数・報酬の削減は、議会改革か
〇23年08月15日「市長記者会見の謎
〇23年09月11日「新聞とは何か
〇23年09月29日「勉強不足の極み
〇23年10月03日「個人情報漏洩の結末(1~4)
〇23年10月04日「定期購読の取り止め
〇23年10月15日「新聞記事を見極める
〇23年10月23日「バカな奴は誰だ
〇24年01月05日「鳥の目・虫の目・魚の目 そして

 私はかなり以前から、テレビ・新聞等のメディアの報道について「これでいいのか・・・」というような気持でいました。また、仲間が集まる会でも、私と同じような想いの方が何人もいらっしゃいました。
 そのような中で、22年9月に地元ブロック紙である中日新聞の小牧通信局長が人事異動で交代しました。
 それ以降、23年2月の市長選挙を控えて、「行政(現職)によるメディア操作が行われている」と判断する報道が続き、「新聞とは一体何なのだ・・・、公平・公正な立場で記事を書くのではないのか・・・」思うようになりました
 
 そこで、23年4月から、ある大学の聴講生として「新聞研究」という講座を受講することにしました。
 最初の授業の時、教授は「新聞とは何か」という質問を学生にされました。まさに、私が知りたかったテーマであり、受講する動機になった課題でありました。
 講義は、「新聞の歴史」、「さまざまな新聞のあり方」、「新聞産業の構造」など、多角的な視点から、メディアとしての新聞を研究するものでした。

 講座の教授は、研究畑出身の学者ではなく、長年にわたり新聞社に勤務され、現場での経験も豊富な方で、幅広い視点に基づいた講義で、私にとっては極めれ有意義な時間でした。
 講義は間もなく終了で、先週と今週の講義の内容は、私が知りたかった「新聞とは何か」という、講義のまとめの部分でした。
 
 講義で聞いた事柄の1部(「新聞」「民主主義」)を次に記載いたします。(パワーポイントのスライドより抜粋)

「マスコミの暗黙の共謀」
 〇現代でも、マスコミが足並みを揃えて報道しないことの力は強い
 〇ネット情報で情報が流通しても(マスコミに比べて)影響は小さい
※例:メディアにとって大口の広告収入源となる業界や企業に関するニュースがあっても、共謀して報道しないようなこと。(これを「報道しない自由」というそうです)

「本当に恐ろしいマスコミの性質」
 〇近代のマスコミ(新聞)はポピュリズム(大衆迎合主義)
 〇近代は大衆が力を持つようになった⇒新聞が大衆に擦り寄る
 〇新聞が大衆の心を操作する=新聞が世の中を操作する

「ポピュリズムの危険性」 
 〇本来、新聞は客観主義、実証主義、懐疑主義でなければならない
 〇それなのに、大衆の好む方向に編集を合わせてしまう
 〇大衆が戦争を好む時には好戦的な記事を書き
 〇大衆が平和を好む時には平和の洪水的な記事を書く

「民主主義の危険性」 
 〇民主主義は危険性をはらんでいる
 〇主権在民は個人の集団が絶対権力を持つ
 〇個人の集団は個人と同様に理性と狂気を併せ持つ
 〇大衆が狂気に駆られる時、新聞も狂気に走る
 〇これが民主主義とポピュリズムの恐ろしさ=ポピュリズムは「民主主義の失敗」とも言われる

「民主主義の手続きで選ばれた独裁者」
 〇20世紀の代表的独裁者とされるドイツのヒトラーは、国民の圧倒的な支持による民主主義的な手続きにで独裁者としての権限を与えられた(1933年ドイツ全権委任法の制定)⇒民主主義の失敗、マスコミの間違い

「戦争を熱望した国民と新聞」
 〇昭和16年11月ごろ、日本が戦争か平和かギリギリの選択を迫られた当時の新聞報道は「アメリカは個人主義、金権万能主義、エロティシズムの氾濫する国であり、アメリカ陸軍の士気は弛緩し、軍隊の体裁を成さない国」として扱い、「帝国に確信あり、今こそ国民一致団結せよ」と檄をとばした

「新聞の戦後責任」  
 〇日本の占領政策として戦勝国は、日本の軍と財閥解体実施した
 〇しかし、戦争遂行に大きな力があった官僚組織(司法を含む)と新聞の解体はしなかった
 〇新聞は占領軍に迎合することにより、占領政策遂行の尖兵となった
 〇占領政策によって、新聞社と記者の社会的地位は戦前より高いものとなり、新聞は敗戦によりむしろ利益を享受し、敗戦利得者の立場を獲得した
 〇新聞社の中に「戦争に負けてよかった」「戦前は全てが間違いだった」という価値観が定着している

 私は不勉強で、「新聞はこうあるべきだ」とこの年になるまで思っていましたが、改めて「新聞はそういうものだったのか」ということを認識しました。
 新聞報道の細かい点で、いちいち腹立たしく感じていた私が未熟だったんですね。
 新聞も売れなきゃ商売にならないので、記者も市民(大衆)の目を引く記事をいろいろ書くのですね。
 また、新聞を都合のいいように操作する人々も大勢いるのですね
 
 

(追加)
〇小泉首相の「郵政解散の圧勝」、河村市長の「トリプル選挙の圧勝」、橋下知事の「ダブル選挙の圧勝」も、「民主主義の失敗」、「新聞(メディア)のポピュリズム」の事例かもしれませんね。

〇巨人GM清武氏の言動は「新聞記者の特権意識」がベースにあるのでしょうね。組織のトップと意見が合わなければ、何も言わないで静かに身を引けばいいのに・・・。やったとしても不満を言った後に懐に入れた辞表を出せばいいのに・・・。
 ガバナンスの問題を、コンプライアンスと勘違いし、提訴するなんて「特権意識」の最たるものと思いますが・・・。勿論、立派なジャーナリストも大勢おられることでじょうが・・・。

〇やっぱり、市民一人一人が「自分の考えをきちんと持つ」とういことが大切ですね。「こまき無答塾」が少しでもその役に立てばと改めて感じました。

この記事は2012年01月14日に「こまき無答塾」に書かれた記事「安斎育郎氏、講演も人間も素晴らしい」を Bing検索のキャッシュ から復元→アーカイブ化したものです(アーカイブ方針



本日はラピオ5階の「学び創造館・あさひホール」で開催された立命館大学名誉教授・安斎育郎氏の講演(演題「原発被害を生きる」)を聴きました
 実は、数日前までは安斎氏の講演があることを知りませんでしたが、「都合で行けなくなったのですが、14日の整理券を持っていますが・・・」と知人からメールがあり、整理券をいただいて参加いたしました。
 安斎氏の講演は、「こまき9条の会」の主催で、会結成6周年記念事業として開催されたものでした。

 今日の講演を聴いた感想を一言で表せば、「安斎育郎氏は、講演も人間も素晴らしい方だ」ということです。
 受付でいただいた資料には、講演の内容について次の3つの項目が書かれていました。
1 原発事故を防げず申し訳ない
2 原発開発と核軍備戦争の深い結びつき
3 今後のエネルギー政策をどうするか?
 
 私は、講演が始まる前に、資料の項目を見て「原発事故を防げず申し訳ない」ということはどういうことかな?と理解できませんでした。
 それは、整理券をいただいた方から「安斎氏は東大工学部を卒業した後、国策である原子力発電所建設に、安全性の観点から一貫して反対されたことにより、17年間も工学部ではなく医学部の、しかも助手のままで学生の講義も担当することが出来なかった方だ」とお聞きしていました。安斎氏の著書も数冊読まれたそうです。
 福島第1原発事故を受けて、普通の方であれば「やっぱり、私が言っていた通りでしょう」と発言されてもいい方なのに・・・、「申し訳ない・・・」とは、と思ったからです。

 受付でいただいた資料の中に、新聞報道のコピーも入っていましたが、「シリーズ 原発の深層」の中に、「差別と抑圧を超えて」という見出しの安斎氏に関する記事があり、次のようなことが書かれていました。
〇安斎氏は1962年、東大工学部に全国に先駆けた設立され、国が原発推進の技術者を養成するための学科である原子力工学科の第1期生であったこと。
〇「原子力がモノになるかどうかは、放射能を管理できるかにかかっている」と、放射線防護学を専攻されたこと。
〇卒論は「原子炉施設の災害防止に関する研究」とのこと。
〇次第に国の原発政策が住民の安全を守るものではないと感じるようになり、国の原子力政策への批判を展開したとのこと。
〇福島第2原発の設置をめぐる公聴会では、安全性に疑問をもつ住民の声を代弁し、建設反対を主張したこと。
(上記の活動を抑え込むために、東大医学部助手時代には)
〇講演に行けば、電力会社の“安斎番”が内容を録音し教授に届けられ、「こんな話をしただろう」となじられる。
東電から派遣された隣席の産業医は、辞める時「僕の役割は安斎さんが次になにをやろうとしているかを偵察する係でした」と打ち明けたこと。
東電から「費用は全部補償するから3年ばかりアメリカに留学してくれないか」と懐柔されかけたこと。

 講演の冒頭で、国の政策に反対するとひどい目にあうこと、3月11日に共同通信からの取材に対して「事故当事者に、隠すな、ウソつくな、故意に過小評価をするなと伝えてくれ」と応じたこと、現在は(エネルギー政策の)岐路にあることなどを話されました。
 そして、「54基の原発にかかわってきて、申し訳ない気分だ」「申し訳ないという気持ちがぬぐい去れない」と言われました。
 きっと、安斎氏は、「もっと、もっと、反対する力があったならば、原発事故を防げたに・・・」と思われているのだろうと察しました。

 講演の内容は、「放射線の人体に与える影響」、「内部被爆と外部被爆」、「廃炉まで年月(50年以上)」、「原発被災地の復興に関する夢想」、「日本の原子力開発の経緯」、「電源開発促進法と自治体の原発推進」、「原発推進住民組織」、「今後のエネルギー政策」など、原発にかかわる広範な事柄を分かりやすく、理論的に説明されました。

 安斎氏の講演を聴いて、講演内容はもとより、種々のいじめを受けながら信念を通してこられた安斎氏の人間としての生き方に共感すると共に、大きなエネルギーを感じました。原発以上の強大な人間としてのエネルギーを
 そして、講演内容とずれるかもしれませんが、その点に関して安斎氏に質問いたしました。安斎氏の応えは次の4点でした。
1.信念があった
2.東大では孤立していたが、学外に多くの仲間がいた
3.研究費はなかったが、(お金のかからない)理論的研究をして、学会で発表し評価されていた
4.価値観を共有する女房が支えてくれた

 「うーん、やっぱり安斎氏は、講演も人間もすばらしい」ですね。「女房が支えてくれた」とは。
 
(PS)
 受付でいただいた資料の中に、「こまき9条の会」の代表から山下市長に対する「小牧市への後援依頼申請書」と、それに対する山下市長からの「後援不許可の通知」の写しがありました。
 「こまき9条の会」から、開催に当たって「小牧市後援という文字を入れさせてほしい」という申請に対して、小牧市は断ったということです。
 不許可の理由として、「催物の案内チラシなどに憲法9条に関する意見などの記載があります。政治的中立な立場をとるべき地方自治体として後援が難しいため、今回の名義使用は不許可とさせていただきます」と書かれていました。

 私は、「常に、誰にも拘束されないで、自由に考え、自由に発言したい」という信念を持っていますので、1度も政治団体や宗教団体に所属したことはありませんし、今後も絶対にありません。
 そういうことで「9条の会」の活動内容も知りません。(若い時から、「2度と戦争してはならない」、「憲法9条は守るべきだ」という考えは持っていますが・・・)
 そうした立場の私から見ると、憲法99条「天皇又は国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」に視点を合わせれば、「憲法9条を尊重し擁護するのは公務員の義務であるので、小牧市は後援してもいいのでは」と解釈できます。
 しかしながら、現実問題として「9条の会は、特定の政治団体との結びつきが強い」に視点をあわせれば、「小牧市は後援すべきでない」とも解釈できます。
 難しいけど、「小牧市の判断は適切であった」と、私は判断いたします。

 世の中面白いですね。武田邦彦氏の講演会は小牧市教育委員会が後援し、安斎育郎氏の講演会は小牧市は後援しない(後援できない)ことが。
 講演の内容、講演者の人間性は、「天と地」「月とすっぽん」の差があるのですが・・・、あくまでも、両者の講演を聞いた私の評価ですが・・・。

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