この記事は2013年09月01日に「こまき無答塾」に書かれた記事「小牧山城築城450年、その発掘調査と記念事業」を Internet Archive から復元→アーカイブ化したものです(アーカイブ方針



 今朝(9月1日)の朝日新聞尾張・知多版に「若き信長 常識破りの城」・「巨大な石垣 人々を威圧」という見出しで、「国の史跡小牧山」の発掘調査に長年携わってこられた小牧市文化振興課の小野友記子さんのインタビュー記事が大きく掲載されました。

朝日新聞9月1日尾張・知多版
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 インタビュー記事の最後で、小野さんは、「城の原型にこだわれば、樹木を全て伐採する極論もありますが、憩いの場としての小牧山も守らなくてはなりません。石垣を出土したまま見せるのか、推定される形に復元するのか。正解が見えない数々の問題に、一つずつ答えを出していくのです」と述べられています。

 また、「記者の一言」では、松下記者が、「想定外の発見が相次いだことを示している。だが、歴史的価値が広く知られているとは思えない。築城450年を過ぎても全国発信を続け、魅力ある史跡公園整備につなげてほしい」と結んでいます。

 私は、この記事を読んで、小野さんも松下記者も極めて高い視点で、今後の史跡小牧山の整備のあり方を語っていると思いました

 小牧市議会においても、貴重な発掘が続く史跡小牧山と、山頂にある城の形をした建物「小牧市歴史館(通称:小牧城)」をどう扱うかの質疑が行われました。

 長年、発掘調査を担当され、小野さんの上司でもある中嶋教育部長は、平成23年12月議会において、小川議員の質問に対して次のように答弁されました。
中嶋教育部長の答弁:会議録より引用
 そこで、歴史館を小牧城としてPRしたらどうかという御提案でございますが、現在でも通称で小牧城としております。
 しかし、小牧山全体が城跡で、今後は歴史的な価値をさらに高めようと史跡整備を進めております。小牧山全体を史跡小牧山としてPRしていくべきであろうというふうに考えております。
 今、歴史館だけをこれまで以上に「小牧城」としてPRすると、整備が進んでいくと、そぐわないものになってしまうのではないかというふうに危惧しております。
(以上、引用終わり)

 「広報こまき」9月1日号と一緒に、「小牧山城築城450年記念事業 こまき信長まつり 公式ガイドブック」と印刷された、A4サイズ12ページ、上質な紙を使った冊子が全戸配布されました。
冊子の表紙(一ページ)
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冊子の裏表紙(十二ページ)
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冊子の五ページ
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 小牧市では、平成25年の1年間に、1億3,700万円余の予算を投じ、「小牧山城築城450年記念事業」を行っています。
 当然、記念事業の瞬間・瞬間には、きっと賑わうでしょうが、問題は、小野さん、松下記者、中嶋教育部長の視点とは、私には、ずれているとしか思えません。
 年が明ければ、「ああ、昨年は記念事業で賑わいましたね」で、終わってしまうような気がして・・・。